5月2日 タテカンバンのある風景
宮沢米傀儡(かいらい←当時はすんなり書けた言葉)政権打倒
金丸金権政治粉砕
もしかしたら明治大学登校初日に受け取った一枚のビラが
オレの人生を変えたのかもしれない
正門に所狭しと並べられたタテカンバン、通称「タテカン」の
今まで見たことないような角ばった独特の左翼文字
そりゃ面食らったね
男子生徒より女子のほうが多くて温室栽培されたような高校生活、
すんなり校長推薦で入学決まってた慶応大学に入ってたら
こんな光景見なかったはず
当時は金丸自民党副総裁に裏金5億渡した東京佐川急便事件で大騒ぎ
竹下、金丸、小沢の3人で全権を一手に握ってた
小沢さんが三塚さんたち三人を「面接」して決まった宮沢「首相」
もともと学生運動盛んだった大学だったけど時代は過ぎ去り過去のこと、
だったはず
この一冊の分厚い文庫本に衝撃を受け「邪宗門」から「わが解体」へと
つながっていく
あとから考えたらこの人、60年代半ばに明治大学の文学部助教授だった
京大に移って70年安保の理論的支柱となっていく
関連した本を何十冊も読みふけり、若さゆえの潔癖症が代々先輩たちが受け継いできた「ニューレフト」「ラディカル」の土壌に結びついて
まさかまさかの学生運動突入
それが当時どんなに「変人」扱いされたか今は思い出したくもない
わかりやすく例えれば麻原彰晃が逮捕された後の「私まだオウムやってます」って
いう女の子のカンジに近いのかもしれない
でも60年安保、70年安保とかの全共闘運動を戦ってきた先輩たちが持ってた
「自分はこのままでいいのか」っていう自己懐疑、自己否定は時代を超えて
共通だと思う
上下隔てのない「非階級社会」「男女同権」
理想論に燃えながらも「先生役」のソ連や中国の現状
考えれば考えるほど袋小路にはまっていく俺
それがたまたま受けた近代経済=ケインズ派の先生の経済原論
「らぴ、マルクスは偉かったけど男女同権とか身分差別のない社会は資本主義の
世の中でも実現できるんだよ」
もう何も書くまい
封印してきたこの20年
今月封切りされる「マイ・バック・ページ」
東大安田講堂に機動隊が突入した1969年
その年にらぴは生まれた