12月6日 海の子

出張

一人、日本海側を車で走る

前にも書いたけど新潟市から村上市まで数十キロの間、
商圏らしい商圏はない

北海道の札幌みたいに新潟県新潟市は肥大化してる



村上市まで向かう途中のこと

3時半過ぎ、小学校低学年生が一人海沿いの道を歩いて下校している

しばらく走ってからまた一人出会う

4時半前、今度は4年生の息子と同じ年のころの小学生がまたトボトボと
下校している

彼らたちはいったい何キロ歩いて学校まで通ってるんだろう

ここには息子みたいに週何回も塾通いする光景はない



お受験育ちのヨメは俺の反対押し切って息子にもお受験生活を強いている

子供に必要なことはそんなことじゃないって何度も言っても
聞く耳持たない

確かに俺も高校生の時に東大受験で有名な駿台予備校に通ったときに
同じ高校生とは思えない学力の差に愕然としたけど

でも早くから準備してりゃあこんなものかと



一人で何キロも歩いて通学する彼らを心から応援したい

きっと都会の子供と比べたら「今の」学力は当然差が出るだろう

でも大人になったら十分その差は埋められると信じてる

子供のときにしか身に付かない「感受性」は「学力」より大事だと思う



今日車で走った新潟砂丘北原白秋の「すなやま」って碑があるはず

新潟市内に戻って馴染みの飲み屋の兄ちゃんに聞いたら「新潟砂丘」自体
知らないらしいけど



いつかこの目で白秋も見た砂浜で夕暮れの紅い日本海を見てみたいと思う

今日出会った子供たちならこの詩の光景はきっと理解できる

それは彼らたちが「自ら考える」時間をたっぷり持っているはずだから

塾通いの子にはきっと「さよならあした」と歌えないはずだから




海は荒海、
向うは佐渡よ、
すずめ啼け啼け、もう日はくれた。
みんな呼べ呼べ、お星さま出たぞ。


暮れりや、砂山、
汐鳴りばかり、
すずめちりぢり、また風荒れる。
みんなちりぢり、もう誰も見えぬ。


かへろかへろよ、
茱萸(ぐみ)原わけて、
すずめさよなら、さよなら、あした。
海よさよなら、さよなら、あした。